特集

2019年9月15日「古代都市チチェン・イツァ」

大西洋の孤島 断崖の遺跡

泉に沈む頭蓋骨が示す 1000年前の干ばつと信仰

5月23日と7月19日にオルトゥン・セノーテ内部へ光がまっすぐ差し込むようになっているのには、どんな意味があるのでしょうか。マヤの天文学や信仰との深い関わりを紐解いていきましょう。

──さきほど、オルトゥン・セノーテに真上から光が差し込む5月23日と7月19日という日付が重要という話がありましたが、その日付には、どういった意味があったのでしょうか?

天野:穀物の種まきと収穫の時期を知る意味があったと考えられています。実はこの日は、ピラミッド中心部の真上を太陽が通過するのと同じ日なのです。つまり、ククルカンのピラミッドの位置は、オルトゥン・セノーテを基準に考えられているということです。

オルトゥン・セノーテに真上を太陽が通る5月23日と7月19日には、同じくピラミッドの最上部の真上を太陽が通過します。

──セノーテは、マヤの人々にとって重要な存在だったのですね。

天野:そもそも、石灰岩の土地であるユカタン半島では、雨水が石灰岩に吸い込まれてしまうため、川ができません。なので、マヤの人々にとってセノーテはまさに命の泉です。現実の生活を支えると同時に、マヤの信仰の象徴でもありました。マヤの世界観では、泉の底には雨の神チャクが宿っていると信じられ、供物が捧げられていたようです。オルトゥン・セノーテにも、そうした儀式の痕跡がありました。水深15メートルのところにある、鍾乳石の石棚に、1000年前の壺や人骨がいまだに残されているのです。番組では、それらの水中の映像もお届けします。セノーテの水は、非常に透明度が高いので、一見すると水中とは思えないほどのクリアな映像です。

チチェン・イツァにはオルトゥン・セノーテ以外に「聖なるセノーテ」と呼ばれるものがあります。ここも生活用水の水源だけでなく、さまざまな儀式が行われていたようです。

──人骨というのは、生贄の儀式が行われていたのでしょうか?

天野:はい、生贄にされた人物の頭蓋骨と考えられています。950年ごろ、長年続く大干ばつでセノーテの地下水の水位は今よりも10メートル以上下がり、石棚は水に浸かっていませんでした。マヤ人はこの石棚で、セノーテの奥底にいると信じられていた神に生贄をささげて雨乞いをしたのです。頭蓋骨は、18歳から20歳の若い女性のものと推定され、3D技術による解析によって後頭部近くに強く殴られた跡があることがわかっています。

水深15メートルまでオルトゥン・セノーテを潜ると、ツボや頭蓋骨など生贄の儀式を行った痕跡がいまでも残されています。儀式が行われた当時は、ここまで水位が下がっていたのです。

──謎が多いという印象のマヤ文明ですが、生々しいほどに詳しいことがわかってきているのですね。

天野:近年、新しい発見もありマヤのこれまで謎だった部分が少しずつわかってきました。現代の感覚では残酷にも思える生贄ですが、マヤの人々にとっては非常に重要な儀式でした。彼らにとって干ばつのときに恵みの雨を降らせるために必要と考えていたはずです。今回の取材では、チチェン・イツァのピラミッドなどに見られる、さまざまな生贄の儀式を示す遺跡もご紹介しています。

ピラミッドの内部には、生贄の心臓を捧げる儀式を行っていたチャクモール像があります。そのほかにも、戦士を象徴するワシとジャガーが生贄の心臓をつかんでいる様子がリレーフに描かれています。

──最後に視聴者の皆さんへメッセージをお願いします。

天野:今回取材していて私が感じたのは、ピラミッドとオルトゥン・セノーテの対比の面白さです。ともに天文装置であり、儀式の場であるのですが、ピラミッドは高度な技術を用いて作られた人工物で、オルトゥン・セノーテは一部に人の手が加わっているとはいえ、ほぼ自然のままの洞窟です。放送では、高度な文明と、独特な自然崇拝の世界観を持つ古代マヤ人のすごさを感じていただければと思います。

放送では、高度な文明と独特な世界観を持つマヤの魅力を感じられる、チチェン・イツァのさまざまな映像をお届けします。

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