2020年07月28日放送
これが、ボクのフツウ 〜ストローでビール飲む写真家の日常〜
制作:RBC琉球放送
今年9月、沖縄県那覇市の県立博物館美術館である写真展が開催された。
それを企画したのは生まれながらに脳性まひの障がいがある友利敏幸(50)。
那覇市で一人暮らしを続け10年以上。友利敏幸(50)は生活のほとんどに介助が必要で、生活保護や行政の福祉サービスを利用し、地域に溶け込み生活している。ライフワークは写真撮影でヘルパーに手助けをしてもらいながら電動車いすから見える景色を撮り貯めてきた。
唯一自由に動かせる左足でカメラのシャッターを切る彼の日常は少し破天荒だ。
ストローでビールを飲み、友人に車いすを押してもらい夜遊びする。
酒好きで女好き、自由奔放。だけど人を惹きつけて離さない魅力がある
半世紀を生きた証に「写真展」を開く挑戦を始めた。
彼を支えようと集まったボランティア25人。仲間たちとの楽しくも大変な日々がスタートした。
友利敏幸(50)の写真展への挑戦の日々を追いかけると、あるものが見えてきた。
「写真展」を通して伝えたいものとは?友利が一人暮らしを始めた理由とは?どうして写真を撮り続けるのか?
ストローでビール飲む脳性まひの写真家・友利敏幸(50)のフツウとは違う「フツウ」に迫った。
2020年07月21日放送
母を探して 〜行方不明者家族の25年〜
制作:MBS毎日放送
1995年に起きた阪神大震災の犠牲者の数は6434人、何度も報道されてきた数字だ。だが実は今も3人が行方不明とはあまり報道されていない。2011年の東日本大震災では津波に流され、今も行方がわからない人の数は2529人にのぼり、捜索活動も続いている。都市を襲った直下型地震で、建物倒壊や火災で命を落とした人が大半だった阪神淡路大震災でなぜ3人の行方が依然として不明のままなのか…。兵庫県加古川市に住む佐藤悦子さん(56)は、母・正子さん(当時65)の行方を今も探している。神戸市須磨区で一人暮らしをしていた正子さんのアパートは地震から数時間後、火災に見舞われた。連絡の取れない母を探して、悦子さんは周辺の病院や施設を訪ね歩いたが見つからなかった。自衛隊が何度もアパートを掘り起こしても骨のかけらも見つからなかった。半年後には、親戚に促され告別式をあげた。骨壺には焼失したアパートのがれきを入れたという。自分は遺族なのか、不明者家族なのか、佐藤さんは自問自答する。阪神大震災をきっかけに災害時の救急医療体制、被災者支援、遺族のケアなど様々な課題が浮き彫りになり、国も対策をたててきた。そして、不明者家族の支援をする動きが医療者の間で少しづつ始まった。不明者家族の状況を「あいまいな喪失」「さよならのない別れ」という言葉で表すことで理解を深めていくことから始まるという。佐藤さんは25年の時を経てこの言葉に出会い、腑に落ちた。表に出てこない災害直後の死亡者や不明者、家族たちの存在を私たちは忘れてはいけない。番組では震災以降、知られざる行方不明者に光を当て震災を考える。
2020年07月14日放送
城下町をつなぐ 〜熊本地震から3年〜
制作:RKK熊本放送
2016年4月の熊本地震で熊本城の城下町・新町古町地区も大きな被害を受けた。築130年ほど町屋が点在する風景は、観光資源としても活用され、地域にとって“かけがえのないもの”になっていた。ところが、町屋の復旧には、1軒数千万円ほどはかかる。しかも自己負担。解体か修復を強いられた町屋所有者の選択は?一方で、支援に動いた地域住民たちの姿も。歴史ある町並みをどう未来へつなげていくのか?熊本地震から3年を記録した。
2020年07月07日放送
二十歳 ぼくの、メリット
制作:MBC南日本放送
曽於市に暮す久永航希は、中学校の時に学校へ行かなくなった。先生が嫌いで、友達との関係も苦手。「同級生に学校来いよと言われる度に、自分が学校に行って皆に何の“メリット”があるのか・・・」常に感じるのは「自分はいなくても同じ」という空虚感だった。シングルマザーの母、美代がトカラ列島の悪石島に移住することを決意。人口およそ70人の島での生活を通して、航希が自分の居場所を見つけていく。
島に来て5年、航希は二十歳になった。そして今、独り立ちすることへの不安を抱えている。周囲から「将来のために高校を卒業した方がいい」と言われることもある。しかし、学校のイメージは中学生の時のまま。航希は焦りながらも、身動きがとれずにいた。