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注目作品

国立カイロ博物館の至宝を一挙公開!
アメンエムオペト 王の黄金のマスク Golden Mask of King Amenemopet 第3中間期 第21王朝 アメンエムオペト王の治世(前993〜984年頃)

1939年、デルタ地帯のタニスで第21王朝、第22王朝の墓が発見された。
この墓は盗掘されていたものの、素晴らしい副葬品が数多く出土した。
この黄金のマスクもその時見つかった4つのマスクのうちの一つ。
プスセンネスの1世の息子アメンエムオペト王のもの。
金の板を打ち出したこのマスクは、メネス頭巾を被り、額には王家の印である聖蛇ウラエウスを付けており、ビーズの幅広い胸飾りを着けた姿が彫り出してある。
眉と目、アイラインの部分は色ガラスがはめ込まれている。 国力が衰えてきた第3中間期にあって、この黄金のマスクは最盛期の新王国時代の作品にも劣らない工芸品の一つに数えられている。

アメンエムペルムウトの彩色木棺(蓋)、ミイラ・カバー、彩色木棺(本体) Coffin and mummy cover of Amenempermut 第3中間期 第21王朝(前1069〜945年 頃)

1891年にディール・アル=バフリーのハトシェプスト女王葬祭殿の東側に位置する通称「第2のミイラの隠し場」と呼ばれる再埋葬墓から発見された アメンエムペルムウトの木棺のうちの内側の棺とミイラ・カバーです。これらは、元々アメン・ラー神の神官であったパディアメンのために作られたものですが、アメンエムペルムウトが自らのものとして再利用したものです。棺の名前の部分で元の名前が消されて色が塗られ、そこにアメンエムペルムウトの名前が記され たのがわかります。木棺の様式と装飾から、第3中間期第12王朝中頃のものとされています。この時代にはかつてのような豪壮な礼拝室をしつらえた墓を造営することはなくなり、木棺に墓の礼拝室の壁画の代わりとして様々な図像が描 れるようになりました。例えば、木棺の本体の側面には天空、大気、大地から なる古代エジプトの宇宙観を表した図、最後の審判の心臓の計量の図、火炎地獄 の図などの 『死者の書』の挿絵が描かれています。また、木棺本体の底板には入念に描かれた羽根をつけた手を広げた西方の女神の図が描かれています。

メンカウラー王のトリアード Triad of King Menkaure 古王国時代 第4王朝 メンカウラー王の治世(前2532〜2503年頃)

ギザの第3ピラミッドと呼ばれるメンカウラー王のピラミッドの河岸神殿で発 見されたトリアード(三神像)のうちの1つです。中央に上エジプ トの王冠で ある白冠を被り、顎髭を付け、シェンディト・キルトという腰布を身につけたメンカウラー王が左足を前に出した姿で表され、その右側に二つの牛の角に挟まれた太陽円盤を戴いたハトホル女神が、一方左側にはジャッカルの姿をした上エジプト第17ノモスの標章を戴く同ノモスを表す女神が表現されています。メンカウラー王は両腕をまっすぐに伸ばして布を掴み、二柱の女神は王の背中から腕に手をまわしています。メンカウラー王のトリアード像は、合 計4体が知られており、いずれもメンカウラー王とハトホル女神、ハトホル女神が崇拝されたノモスの神の姿で構成されています。カイロ博物館に3体、ボストン美術館に1 体収蔵されています。おそらく、メンカウラー王の河岸神殿には全部で8体のトリアードが配されていたと考えられています。トリアードは、メンカウラー王と関係の強いハトホル女神を王の祭祀に関連するノモスからもたらされる豊かな供物を保証す 女神として表したものです。