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唐招提寺

唐招提寺

唐招提寺とは?

唐招提寺とは?
唐招提寺は、中国の高僧 鑑真和上(688‾763)により創建された律宗の総本山です。
鑑真和上は聖武天皇の招聘に応えて来日を決意され、五度の渡海の失敗と度重なる艱難辛苦のすえ両目の光を失いながらも753年、渡航を志してゆうに12年の歳月を経て、来日を果たされました。この偉業は日本でも中国でも広く知られています。

唐招提寺が創建されたのは和上来日より五年後の759年、律宗の研究道場として故新田部親王の旧邸を授けられたのが始まりです。
境内には金堂、講堂、宝蔵、鼓楼(いずれも国宝)をはじめとする伽藍が立ち並んでいますが、これらは朝廷や有力者などの寄進により徐々に整えられていったもので、現在でも、創建時の姿を伺い知ることができます。中でも、南大門をくぐって正面に佇む金堂は、奈良時代に建立された金堂としての唯一の遺構であり、その堂々たる姿と静謐さをたたえた美しさが多くの人々を魅了してきました。(現在は解体修理中)
また、天平彫刻の傑作も数多く安置されており、特に御影堂の鑑真和上像(国宝)は、わが国に現存する最古の肖像彫刻です。晩年をむかえた鑑真和上の、深い精神性までもが感じられる彫像で、観るものの心を打つ佇まいを見せています。かつて、唐招提寺の開山堂に鑑真和上像を拝した松尾芭蕉は「若葉して御目の雫拭はばや」と詠み、この句碑は今でも旧開山堂前に立てられています。瞑目の和上像から誘われる涙と思慕の情を、暗く重いものではなく、みずみずしく、さわやかに詠んだこの句は、まるで唐招提寺の姿そのものように思われます。

唐招提寺は1989年に「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されました。しかし1995年阪神淡路地方を襲った大地震が金堂の基壇をも揺るがし、調査の結果直ちに修理の必要性が明らかになったため、2000年より10年間に及ぶ金堂平成大修理事業が始められました。
現在金堂は解体修理の真っ只中にありますが、金堂周辺の一部を除いては自由に散策を楽しむことができます。広大な敷地内において深い自然と四季折々の風情、なによりもその静謐な佇まいに心身が浄化されてゆくようです。今なお鑑真和上の精神を受け継ぎ、天平人の息吹を感じさせる唐招提寺は、過去から未来へと、常にみずみずしく我々をいざなってゆくことでしょう。