太平洋戦争開戦直後の1941年12月下旬。 別府市の料亭なるみに海軍の隊員たちが集った。真珠湾攻撃の祝勝会だった。この祝勝会には、第一撃を投下したとされる高橋赫一海軍少佐らが参加。このとき、料亭の亭主にお礼として、機密だった真珠湾の写真をひそかに手渡した。その写真とともに残したのが、「一撃必中」と書かれた書であった。 これ以降、なるみを訪れた海軍士官らは料亭に書を残すようになり、1944年末までに300人以上の隊員の書が残されている。 「必中」や「撃沈」など威勢のいい言葉が並んでいるが、中には文字では表せない隊員の切ない思いを描いたものもある。それは 「カエル」の絵。生きてふるさとに戻ることを絵に表したとされ、当時は、決して言葉にはできなかった思いを描いたと推察される。当時、海軍中尉だった細谷孝至(94)はこうした書は、遺書代わりにもなったという。 料亭なるみに残された書から、当時の隊員の胸の内を伝える。
ディレクター:堀公一(OBS大分放送)
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