報道の魂
ホウタマ日記
2016年09月29日 「みんなサルトルの弟子だった」番組後記 (秋山浩之)
“来日50年”といえば、即座に返ってくる答えは決まって「ビートルズ」です。ビートルズ来日の“あのハッピ姿”は、この50年間、繰り返しテレビで流されてきました。多くの日本人が「映像」を伴って出来事を記憶しています。

しかし「サルトル来日50年」というと「えっ?」と大概の相手は絶句します。「サルトル?来日していたんですか?」と半信半疑の某氏の反応もありました。大概の日本人にとって、サルトル来日という出来事は、歴史の記憶からすでに消えてしまったことのようです。ましてその瞬間の「映像」など思い浮かびません。

テレビの役割のひとつは「大切な歴史を忘れさせないこと」だと私は思っています。プラスの歴史であれマイナスの歴史であれ、過去を繰り返し問い直すことで歴史の多様化や検証化は可能になります。映像文化を担うテレビの役割は大きく、アーカイブ映像を引用し、人々の記憶にビジュアル的にも訴えながら歴史を問い続けることは、義務だと思っています。

さて今回とりあげた「1966年、サルトル来日」ですが…。TBSだけでなく、広島RCC、福岡RKBにもサルトル来訪の映像が少しだけ残っていて、それらの映像を引用しつつ来日の意味を考えてみました。サルトルとボーヴォワールが、まぎれもなく日本の大地を歩く姿が、映像としておそらく半世紀ぶりに放送されたことになります。テレビ史的に言えば、沈みかけた歴史のひとコマを「再びよみがえらせた」ことになったのです。ちょっと大げさでしょうか。まあともかく、来日に半信半疑だった某氏も、映像を見てきっと「本当だ、来日していたんだ」とうなずいたに違いありません。

無論、今回の番組の狙いはそこだけではありません。サルトルが半世紀前に発した言葉が、50年後の日本人の心にも響くにちがいないと考え番組を作りました。サルトルをめぐるキーワードのひとつに「コンテスタシオン・異議申し立て」があります。仏文学者の鈴木道彦さんや海老坂武さんが番組内で述べていますが、サルトルが日本でスピーチした「知識人論」の核心部分が、この「異議申し立て」でした。組織や権力や大資本から一歩引いて、個の立場から自らの立ち位置を決め、否定すべきものにははっきりNOと言う。ムラ社会型・同調主義型の日本にとって、こうした「不協和音」を招くような考えは否定されがちですが、サルトルの主張は、当時の多くの日本人に受け入れられたわけです。これはすごい出来事です。

そして50年が経ち、「安保法」や「原発」や「憲法」が議論される現在…。サルトルの考えは、けっして古びていないと私は思っています。

SEALDsの奥田愛基さんは国会での意見陳述の中で政治家に次のように呼びかけています。

「どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください」

奥田さんがサルトルを学んでいるかどうかわかりませんが、50年前のサルトルの言葉とすごく重なります。

私たちはいま「安保ムラ」や「原子力ムラ」の呪縛から、どれほど距離を置き、率直にモノが言えるかが問われています。力を持った誰かが勝手に未来を決めるのではなく、市民が自分たちで「歴史を選び返す」時代に入っているのです。そんな時代だからこそ、半世紀前のサルトルの言葉は人々に響くのではないか、私はそう考えました。

「なぜいまごろサルトル?」と思われた方も多いと思いますが、制作者の意図は以上のようなものでした。果たして、そこまで感じ取っていただけたかどうか…。

御視聴いただいた方に、あらためて感謝申し上げます。

ディレクター:秋山浩之
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