報道の魂
ホウタマ日記
2016年04月05日 「この町とともに生きて 〜家族5人を失った漁師の5年〜」 放送後記
寝ている父親の上に乗って無邪気な笑顔を浮かべる娘(3歳)と息子(2歳)の写真。担ぐはずだった赤いランドセル。端午の節句用の鯉のぼり。

五十嵐康裕さんの自宅の仏壇には、家族の写真や子どもたちの思い出の品、お菓子、生花などが溢れるように置かれていた。仏壇を見つめながら、五十嵐さんは寂しそうにつぶやいた。

「5年が経ったけど、これからどうするのかなってそれだけですよ。俺が死んだら俺はいいけど、女房や子どもたちに誰が花をあげてやれるのかな。誰が線香を上げてくれるのかなとか、本当に頭が痛いよね」

家で一人きりになるとき、五十嵐さんの悲しみは募る。今でも酒を飲まないと眠ることができない。

そんな五十嵐さんだが、家から一歩出ると表情が一変する。整髪料で髪型を整え、龍が入ったお気に入りの派手な服装で町を闊歩する。

漁師仲間、行き着けの居酒屋、スナック、神輿会の仲間たちに見せる五十嵐さんの表情は、いつも明るく精気が漲っている。
 
前を向こうと必死に生きてきた五十嵐さん自身の力によるものであることは言うまでもない。だが私は取材を通して、五十嵐さんにそっと寄り添ってきた人たちの存在の大きさを知るようになった。

寄り添う人たちの多くも震災で家族や家、仕事などを失っている。彼ら彼女らは五十嵐さんに対して声高に励ましたり、感傷的に慰めたりすることはない。ただ黙って、ともに時を過ごしてきた

山田町の人口は震災前から3000人近く減り、約1万6000人になった。だが、この町とともに生きようとする力は、震災前より強まったと多くの「山田」の人たちが口にする。

私はこれからも「山田」の人たちの生き様を伝えていきたい。
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