報道の魂
ホウタマ日記
2008年05月26日 「あの時だったかもしれない」 編集後記 (秋山浩之)
「テレビとは何か」などという議論をまじめにしたことがあったろうか…。

20年余りの自分のテレビマン生活を振り返っても、そんな記憶はない。職場の先輩も含め、テレビそのものの存在意義が熱く議論されたことなどなかったように思う。私がこの業界に入るかなり以前から、テレビはすでにテレビとしてそれらしく存在していた。

しかし「テレビらしさ」とは誰が決めたのだろうか。「らしさ」があるということは「らしくなさ」もあるということだ。「らしくなさ」はいつ頃から排除されてしまったのだろうか…。

そんな疑問へのひとつの答えが今回の番組『あの時だったかもしれない』である。1955年に始まったテレビジョン放送は1960年代の“青春期”を過ぎると、経営的にも表現手法的にも安定的かつ無難なかたちに納まっていった。番組は、そんなふうに収束する前後のテレビの“疾風怒濤時代”を描いている。

「天皇陛下はお好きですか?」

『あなたは…』(1966年放送)という番組に出てくるシーン。道行く人に質問が投げかけられる。

「気取っているからあまり好きではありません」

小学生の男児が即答する。

このシーンをみて「随分と大胆な質問だな」と今どきのテレビマンは思う。私も思う。そう思うこと自体、すでに自制心が働いている。「あちら」と「こちら」をはっきりと分けている。それゆえ「こんなこと今のテレビではできないな」とは感じるが、そこから先に思考が進まない。なぜ今できないのか、できなくても良いのか、問うことをしない。テレビがテレビであることの根幹に触れようとはしない。

今回の番組『あの時だったかもしれない』は、テレビの自叙伝という形式はとっているが、懐古趣味ではない。いまのテレビに対する挑発である。だから引用された萩元晴彦や村木良彦の作品をけっして過去のものとして懐(なつ)かしんではいけない。「テレビらしさ」に何の疑問も持たず、日々番組を作り続ける現役テレビマンへの挑戦状として受け止められるべきなのだ。

生前の萩元晴彦と一度だけ飲んだことがある。話がテレビ番組のナレーション表現に及んだ時、私がさも知ったふうに「萩元さんの時代は、寺山修司や谷川俊太郎を使って“普通とは違う”テレビ表現を追求していましたね」というと、萩元はするどい目を私に向けて言った。

「君に質問するけど、“普通の”テレビ表現って何だい?そんなものいつ誰が決めたんだい?」

私はしどろもどろになった。萩元が続けた。

「テレビはわかりやすさを追求するあまり、実に表現力の乏しいナレーションばかりになってしまった。それが君のいうところの“普通”の表現だと思うよ」

私は頭を「ガツン」とやられた気分だった。

今回の番組で、この「ガツン」をひとりでも多くの現役テレビマンに感じてもらいたいと思っている。そのことが、すでにこの世にいない萩元晴彦、村木良彦への最大の弔いだと私は思っている。

(プロデューサー:TBS報道局 秋山浩之)
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