報道の魂
ホウタマ日記
2006年01月31日 「幸福論」ー豪雪と過疎の中で考える (岩城浩幸)
『早々の立派な雪で風情としては完璧な正月でありましたが、村人は天気予報に釘づけ、毎日が「今年最大級」と報じている。屋根を掘り出すのだから「雪かき」という表現は手ぬるいのではないか。「雪ほり」と言ってもらわないと、何か「ままごと」をしている気分で…などとテレビを観ながら村人は思う』。

新潟県柏崎市高柳町の小林康生さんから、正月十日付けの年賀状が届きました。小林さんが生業とする門出和紙、否、小林さんが誇りを持って名づけた「生紙(きがみ)」に刷られた文字は、これまた大雪の影響でしょうか、ちょっとだけ滲んでいました。

私には、いまだにしっくりしないことが一点。それは住所です。去年の4月までは、新潟県刈羽郡高柳町でした。それが、いわゆる「平成の大合併」の流れの中で、柏崎市の一部になったのですしかし、日本海に面した「海辺の街」柏崎と、「山村の原風景」とも言うべき高柳が直ちに渾然一体となるには、私の頭は柔軟性を欠いています。そして、柏崎になったからといって、高柳が山村の豪雪地帯であることから開放されることには、勿論つながりません。

『克雪とは、先ず雪は降るもの、わが身に降りてくる一葉の雪片として縁ある出会いと認める心になることだと日々想っているのだが…ちょっと揺れ動く。一時の晴れ間を望みながら、天を眺めることしか出来ない老人家庭がなんと多くなったことか。家の前の道踏みさえできない老人を想うと、天に憎しみの心と祈りの心が交差する』。

克雪−雪を克服する…。高柳は、全国で最も高齢化指数、つまり人口に占める65歳以上の比率が、全国で最も高い地域です。しかも人口の減少に歯止めがかからず、最盛期の人口が五分の一の3,000人あまりになってしまいました。「雪ほり」は、生死にかかわる問題です。特に高齢者にとっては。かつて列島改造を引っさげた地元出身の宰相も、これを解決することはできませんでした。そして今、「改革」の名の下に小さな政府を標榜する宰相がすすめる「三位一体改革」は、これらの問題に光を当てていると言えるのでしょうか。

私は、社会部記者の時代、政治部記者の時代、あるいは番組のディレクターとして、キャスターとして、事あるごとに高柳に足を運びました。22年の間、風景としての高柳はほとんど変わっていない様に見えます。しかし、「このままではムラがなくなる」…と悲壮感に駆られ、過疎と戦おうとしていた小林さんたちは、大きく変わっていました。過疎と共生しようと…。

小林さんたちが「柏崎市民」となって初めての年、私は再び高柳に足を運ぶことにしました。合併でアイデンティティには変化を余儀なくされたものの、そこに小さな光が見えるかもしれない、小なりとはいえ財源を伴った権限、すなわち自治を得ることができるかもしれない…新たに導入された「地域自治組織」導入で、最も過疎の地域が新しい自治のモデルケースになるかもしれない。去年秋のことでした。

しかし、小林さんの年賀状にはそんな力みはなく、たおやかに次のように結ばれていました。

『しかしこの厳しい環境こそがこの村を育てている。村の結は、必然的に強固になりお互いがはちきれんばかり心を配り、助け合わなければ日々の暮らしが成り立たない。わが身に降りてくる雪が、痛みを持った心を養い、より人にやさしくもなれる。今冬は、本来の農村らしい姿が再確認される年になりそうだ』。

新たに、ユニークな人との出会いもありました。東京のサラリーマン生活に見切りをつけ、夫婦で高柳に暮らす人。何をして生活されてるんですか?という問いに、「山の恵みを拾って生活してるんだ。山の動物がライバルだ」と、その人は答えます。

小さな政府か大きな政府か、市町村合併の功罪は、自治・分権とはどういうことか…学生の頃から30年以上も考え続けてきたテーマに、いまだに私なりの答は見出せません。だからこそ、高柳の人たちと対話を続けてきたのだと思います。そしてそれは同時に人にとって幸福とは、あるいは幸福な生活環境とは何かを考えることでもあると、今気づき始めました。

私は今年も、そして今後も高柳に通い続けるつもりです。記者である限り、否、生きている限り。その経過を、この番組を中心にお伝えして行こうと思っています。

(解説専門記者室・岩城浩幸)
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