週刊Scoop[3月16日春休み特大号]

誘拐テロ事件、SITとSATにより早期解放へ 誘拐された10人は霧山塾メンバー「制圧法」反対派 内部紛争による犯行か

(写真) 日本を震撼させた要人10人同時誘拐テロ事件はSIT、SATの迅速な捜査および作戦により無事、全員が救出された。奥多摩の山荘に幽閉されていた10人だが、山荘周辺の固めは日本では考えられないほどの規模であった。
日本での立てこもり銃撃戦と言えば1972年の「浅間山荘事件」が思い出される。今回の犯行グループはインターネットでの犯行声明を行うなど時代の違いはあるが、大型銃器の使用、SATとの激しい銃撃戦など「浅間山荘事件」での連合赤軍の内部崩壊、血の粛清、警察の追跡をかわすための人質たてこもり、そして全国への生中継という点においても重ねあわせた人は多かったのではなかろうか。

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今回の誘拐事件では、犯人側からの要求は金額こそ示されなかったが、全員が各界の有力者であったことから社会への影響力などを鑑みて単にそれだけとも思えず、「M」の真の目的が注目されていたが、ここにきて黒幕説が浮上した。それは誘拐された10人が、警察組織の在り方を考える「霧山塾」の参加メンバーであり、霧山氏が長年主張し、導入を目指してきた「制圧法」に反対する人々だったということが判明したのだ。連合赤軍の恐るべき血の粛清に通ずる恐怖、今回は殺害には及ばなかったものの、反対意見は受け入れない、自分が人質になる恐怖を味あわせようという霧山氏の意を汲んで「M」が実行したのではないかという見方が強まっている。テロに対する警察の対処、作戦立案などこれまで最前線で特殊部隊を指揮してきた霧山氏としては、事件の際の警察、報道の動きは手に取るようにわかっていたことだろう。「テロリストと交渉はしない」この大前提があったはずなのに、ダッカ事件で煮え湯を飲まされた霧山氏としてはそれを逆手に取って事件を起こさせることにしたのではなかろうか。また、コメンテーターという立場を利用して、世論を誘導することも忘れなかった霧山氏は、警察組織を「世間が求めている」と外堀を埋めることで変えていこうとしていたのではなかろうか。しかし、「M」こと正木圭吾と霧山氏を結ぶ線は見つかっておらず、正木自身の生死も不明となっているため、霧山氏に捜査の手が及ぶことはなかった。

(写真) 「目には目を、凶悪犯には強大な力で制圧を」。日本の治安を守る最後の砦はやはりSAT、その筋書きを認めさせようとしたと思われるが、SIT、SAT、NPSすべてが機能したことで、皮肉にもそれぞれの存在意義を知らしめてしまうことになった。日本の特殊部隊の必要性、その形は論議されてしかるべきであろう。しかし一つの結論だけでなく、さまざまな形があってもいいのではないか。今回の事件の結果から、世論が出す答えは霧山氏の思惑通りにはいかなかったことだけは確かである。

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